孝獻皇帝 劉協 (こうけんこうてい りゅうきょう)
孝獻皇帝諱協,靈帝中子也。母王美人,為何皇后所害。
中平六年四月,少帝即位,封帝為勃海王,徙封陳留王。
九月甲戌,即皇帝位,年九歲。(後漢書 孝獻帝紀)
上記は、『後漢書』孝獻帝紀、劉協に関する記録の冒頭部分です。
皇帝の生年月日が史書でオフィシャルに記録されていないことがわかります。
下線部のとおり、即位の年・中平六年(西暦189年)9月に、数え年9歳で即位、の記述は残っていますので、ここから推測されている定説の生年で考えることにします。
生年(定説)と九星
光和四年(西暦181年)
一白水星
所感
このかたの不幸は、暴臣・董卓によって、傀儡の皇帝として9歳で即位させられたところから始まりました。
このかたの生涯を『後漢書』孝獻帝紀の記載事項で辿ると
傀儡
「十一月癸酉,董卓為相國。」
(董卓の専横を誰も止められなかった)
暗殺
「癸酉,董卓殺弘農王。」
(董卓が弘農王=劉協の兄で前皇帝 を殺害)
流浪
「丁亥,遷都長安。董卓驅徙京師百姓悉西入關,自留屯畢圭苑。」
「三月乙巳,車駕入長安,幸未央宮。」
※幸=行幸の意味
(洛陽→長安へ 行幸という名の流浪)
暗殺
「夏四月辛巳,誅董卓,夷三族。」
(董卓が誅殺される)
流浪
「秋七月甲子,車駕東歸。」
「庚申,遷都許。己巳,幸曹操營。」
※幸=行幸の意味
(長安→洛陽→許昌 と流浪)
傀儡
「冬十一月丙戌,曹操自為司空,行車騎將軍事,百官總己以聽。」
「癸巳,曹操自為丞相。」
「夏五月丙申,曹操自立為魏公,加九錫。」
(曹操の支配下から全く逃れられない)
陰謀
「十一月丁卯,曹操殺皇后伏氏,滅其族及二皇子。」
(曹操による皇后と皇后の家族、二人の皇子の殺害。)
殺害理由は「曹操暗殺計画のの露見」
傀儡
「二十一年夏四月甲午,曹操自進號魏王。」
(曹操は位人臣を極め、全く揺るがない)
没落
「冬十月乙卯,皇帝遜位,魏王丕稱天子。奉帝為山陽公」
(曹操の子の魏王曹丕に帝位を譲り、劉協は山陽公となる)
傀儡、暗殺、流浪、陰謀、没落……
閉ざされた宮殿の中で、権力者の迫害に耐え続ける暗黒の日々が行間に漂います。
これほどに本命星の剋気をまとうとは。
一白の象意は「胎」そして「坎(あな)」。
ここから発することが凶であれば「坎に落ちる」→没落。
方円の器に従う柔軟性を持つ水も、凶にはたらけば「流浪」。
いったいどこで、一白の剋気を呼び込んだものか。
もしかしたら董卓による長安遷都か。曹操の許昌遷都かのいずれかが、凶方位だった可能性を感じます。
この点は次回、地理屋さんの地理力も借りて書いてみたいと思います。